<第30回 日韓交流信徒大会>
日本基督教団甲東教会にて開催
去る1月13日(月)に、在日大韓基督教会西部地方会・日本基督教団兵庫教区共催による「第30回日韓交流信徒大会」が教団甲東教会で開催された。この大会は、1984年に在日大韓基督教会と日本基督教団との間に結ばれた宣教協約をふまえ、協約の実施をめざし、1985年以来、毎年1月の成人の日に開催してきたものである。
今回は第30回という記念大会となった。当日167名(西部地方会47名、兵庫教区120名)というたくさんの参加者を得た。開会礼拝は音楽礼拝としてささげられた。菱田聡一郎(教団甲東教会)大会委員長の司会で進み、祈り、朗読、聖歌隊合唱、独唱、会衆讃美と全会衆が参加する形で主イエスの生涯を辿った。その中で、「出来事の背後に」と題する西澤他喜衛牧師(教団甲東教会)の説教、聖餐式、新成人祝福式がなされた。席上献金は福島県の原発被災者とフィリピンの台風被災者救済のためにささげられた。礼拝の最後を本大会の恒例になりつつある韓日合同聖歌隊のハレルヤコーラスで締めくくった。主の栄光を讃美するにふさわしい素晴らしい音楽礼拝となった。
一同が会して昼食を共にしたあと、“30年の歩みを振り返って”と題する発表会が持たれた。韓日から4人の証言者が本大会の歴史を語った。前半15年の壮年達の熱い議論中心の大会から、後半15年の女性と青年達が合流し、ともに讃美することが大きな目標になった本大会の変遷が紹介された。また、貴重な写真集のスライド上映で映像でも本大会の歴史を確認した。
午後からは市岡裕子さんによる讃美(ゴスペル)コンサートがあった。市岡さんは吉本新喜劇の看板役者であった故岡八郎さんの長女である。数々の家庭における不幸を主の愛とゴスペルで乗り越えた涙と笑いと感動に満ち溢れた半生が語られ、一同胸を熱くした。
両教会の宣教協約締結から30年という節目の年に、韓日の信徒が集って共に礼拝をささげ、魂の交流をするということの意義を各自が再確認した。この記念の大会に趙重來総会長と日本基督教団の石橋秀夫総会議長からも祝いと激励の手紙が寄せられた。30年という長い年月の間、この大会が途切れることなく続けられたということは神の奇跡の一つである。協約が締結されるや直ちに実行委員会を組織し、1年以内に第1回目の大会を実現した草創期の先輩方のご苦労に深く感謝したい。その間天に召された方も多いが、天国でもきっと韓日の交わりを続けていることと思う。
(報告:林英宰、武庫川教会)
<記念の第30回大会に参加して>
日本基督教団の一人として寄稿します。教会の先輩にさそわれて第1回大会(1985年1月15日、教団甲南教会)に出席した私は、在日の方々とお会いしてお顔の奥から日本人に苦しめられたご祖父母、ご両親のお顔がのぞいてくるような初印象を受けました。分団でも人権問題、とくに指紋押捺問題や差別の問題、戦争責任問題が議論になりました。回を重ねていくうち、隣人として宣教の共通課題を受けとめる雰囲気が生まれてきたように感じます。実行委員として大会の準備段階から共に祈り、議論し働いているうちに理解と親しみが自ずと生まれてきました。主イエスの導きのもとに祈り準備するということのゆえでしょう。嬉しい恵みです。
今回第30回大会において、愛餐会に続いて韓日からの4名の証言者のうちの一人として話す機会が与えられました。私の依拠した資料は1984年1月16日の「壮年代表者会」での金吉雄長老(武庫川教会)の発題講演と、1984年2月8日に結ばれた両教会の宣教協約です。在日大韓基督教会は、1907年留学生対象に東京に韓国人YMCAが設立され、翌1908年宣教師が韓国から派遣されたことに始まりますが、2年後の1910年に日本は日韓併合を起こし、30年代に満州事変と日中戦争を起こして、近隣諸国、在日の方々、またキリスト教会には苦難と迫害の歴史が続きました。1941年6月、国の宗教政策で日本基督教団に強制編入されましたが、日本の敗戦により1945年以降在日大韓基督教会は教団から脱退し独自の歩みを再び始めます。1984年の宣教協約にいたるまでにたどったこの歴史をしっかりと銘記しなくてはなりません。今また「暗い時代」の到来を予感させる事態の進行がみられる中で、日韓キリスト者はこうした動きに無関心であってはならないと思います。
第1回大会から今回の30回までの歩みの中で、両教会のキリスト者が出会い、共に主を讃美できたことを大きい恵みと感じ、感謝の念で充たされています。
「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと
主は彼らを苦しみから導き出された。」(詩編107篇6,13,19,28)
(報告:安井修二、日本基督教団神戸教会)