被災者とふれあい、とりなしの祈りが明確に 全国教会女性連合会四局合同研修会「いのちと出会い、これからを考える」
「どうしても一度、被災地を訪ねたい」「何かできることがあればしたい」。そんな熱い思いを胸に、全国女性会の会員49名が全国各地から東北に結集した。3泊4日の日程で2教会を含む6ヵ所を訪問し、5つの講演、報告を聞き、仮設住宅でのイベントと水曜礼拝まで行なう過密スケジュール。どのような出会いや発見があったのか、レポートする。
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今年はぜひ被災地で研修を、机上の学びではなく現地を視察し、移住外国人女性の話を聞いて私たちにできることを探ろう。それが今回の研修会の大きなねらいだった。
6月18日(月)午後、各地から仙台空港に集合し、大型バスにて郡山伝道所(朴正根牧師)へと向かう。今回の旅の特徴は、走行距離が1,000キロを超えることと、4日間に詰め込めるだけ詰め込んだ日程。車中で居眠りする暇はない。『災害とこころのケア その理論と実践』のブックレポートを聞きながら夕刻、伝道所に到着。開会礼拝(説教:鄭仁和牧師)の後、「須賀川シオンの丘」に移動し、郡山伝道所信徒の心づくしの夕食をいただき、朴正根牧師の講演「原発被害の実際と未来」を聞く。
放射能の濃度が高い中、ここにいる人たちのために今こそ福音を伝える時だと、避難せず残る決意をした朴牧師家族とその働きに加わっている信徒たち。高校生の姉妹の言葉が心に残った。「福島には誰も来てくれないけれど、皆さんは遠くから来てくれたので嬉しい」。
2日目19日(火)は、郡山市内の仮設住宅(310世帯)での炊き出しとイベント。韓国の餅と缶入りシッケなどを配布し、集会所では落語と讃美、ヘアカットとハンドマッサージを準備。喫茶コーナーでくつろいでいた方々にハンドマッサージを行った。最初は遠慮していた男性陣も、強引な誘いにのってマッサージを受けると、気持ちがいいと喜んでおられた。「話を聞く人が来てくれたのは10ヵ月ぶり」とのことで胸が痛んだ。
午後からは岩手・南三陸町までの移動時間を利用し、車中でフィリピン人女性グループ「ハワクカマイ(手をつなぐ)」会長、後藤キャサリンさんの話を聞く。5名から始まったグループは福島県内80名の集まりとなり現在、英会話教室を立ち上げている。震災直後の4月には、フィリピン政府からすべての同胞への帰国命令が出たが、日本にいる家族と、子どもたちが馴染まないことを考え帰国しなかったという。
続いてRAIK所長佐藤信行氏から、「外国人被災者の現在」についてのお話を伺った。各地に点在する外国人を一人一人尋ね歩く様子は、99匹を置いて1匹を探し求める姿と重なった。
夕刻、南三陸町で唯一残ったというホテル観洋に到着し、李善姫氏(東北大学大学院法学研究科)から「東北の移住女性の震災前、震災後」と題する講演を聞いた。東北の花嫁さんの90%以上は日本名で生活し、同胞の仲間内でさえ、本名を知らない。それが震災後の身元確認に大きな困難となったとのことだった。東北、過疎、因習の強い土地柄など諸要素が絡み合う中、今後同胞のネットワークの必要性が見直されていくことを願っていると締めくくられた。
3日目6月20日(水)は、津波の被害がもっとも甚大だったと言われる南三陸町、石巻市を視察。多くの方が犠牲になった老人ホームや大川小学校の跡地を訪ね、祈りをささげた。
山形へと向かう途中、仙台市内の「エマオ」に立ち寄り、「エマオ」と「東北ヘルプ」の活動についいての話を伺う。
夕刻、山形県天童市の山形ウリ教会(李明信牧師)に到着。水曜礼拝をともにし、信徒との親睦会をもった。今回の参加者の中には、西部地方会の「シオン合唱団」11名がいる。被災地で讃美をしたいという祈りが実現、ツアー中に4回の奉仕ができた。
水曜礼拝では、金必順牧師(女性会総務)が「絶望の中にいのちの森を」と題し黙示録22:16から説教。神殿が崩壊し絶望に見えたイスラエルに、主はダビデのすえとしてイエスを与え、そのいのちが私たちに受け継がれている。地震と放射能で絶望に見える地にも、主は死んだような切り株から新しい芽、「ひこばえ」を与えてくださるとのメッセージだった。
山形ウリ教会と郡山伝道所など被災した4教会には、昨夏、女性会からの「復活の祈り献金」を役員らが直接手渡した。その際の再会の約束を果たすことができた。最終日は、サクランボ狩りと牛タンを楽しんで各自仙台から帰途についた。
(報告:朴栄子社会局長)
【ボランティア所感】
研修会後、ボランティアのために残った8名は、3泊の日程で日本キリスト教団東北教区被災者支援センター・エマオ(仙台市)を拠点として活動した。エマオでは、「スローワーク」=寄り添い・祈ることを大事にしている。
朝、仮設住宅の集会所で一緒にラジオ体操し、ヘアカットやハンドマッサージをしながらお話を聴き、ふれあうことができた。また、畑や民家の庭の草取り(津波によるいろいろな種類の植物が畑に運ばれている)、泥かき、家の中のそうじなどの奉仕をさせていただいた。2日間での奉仕はわずかなものだが、被災地でのボランティアはこれからがもっと必要だと痛感した。エマオでボランティア活動する青年たちの姿を通して、日本の未来に希望をみたように思う。
(崔美恵子教育局長)
【参加者の声】
・ 現場で自分のするべきことに気付いた。
・ 被災地でキリストの涙を感じた。
・ 自分のとりなしの祈りの課題がわかった。
・ かえって自分が慰められ励まされた。
・ 何らかの心のケアができないかと思った。
・ 被災地の現状を少し垣間見ただけだが、今後は何らかの行動を起こしたい。
・ これからの道が、少し見えてきた気がする。
・ マッサージをしながら心が通い合うのを感じた。